獣になれないわたしたち 山内圭哉の無神経社長がおもしろい&まさかの泣ける展開
まさかガッキーに泣かされるとは・・・意外な展開でした。
優秀がゆえに周囲になめられ甘えられ(ねたみもあるのでしょう。包容力があって優秀とくると、周囲の加虐性も引き出してしまうんですよね。あいつの泣いてるところが見てみたい、みたいな)、パンクするまで仕事は抱え込み。
器のでかさゆえに、取引先のストレス解消の的とされ、土下座までされられてしまう。
それでも、不幸な生い立ちのガッキーはその生い立ちのせいもあり(不幸な生い立ちの人間は、不幸や苦労を受け入れてしまう。そっちのほうがどこか安心だから。苦労の仕方はわかっても、幸せになる方法を身につけてないんですよね)、無理な状況を受け入れ続けてしまっています。
しかし、ついに我慢が決壊して・・・第一回目はそんな流れでした。
秘かにキレるガッキーが哀しくて泣けた。
このドラマ、泣けるといってピンとくるひととこない人にくっきり分かれると思います。
おそらく泣ける派はアラフォー以上。
若い人からしたら、なんであれで泣けんの? 好き勝手まわりにいいようにされてるばかな女が限界がきて軽くキレたってだけじゃん、ってな解釈をしてると思います。
このドラマ、年代によっては解釈が難しいと思います。
数字が11%と内容のわりに微妙だったのも、このドラマの解釈が分かれてしまっていることをしめしている。
パワハラだなんだという言葉が浸透し、厳しく仕事をしたことのない人たちが思った以上に増えているんだなと実感しました。
ドラマのガッキーのように投げられたボールを期待に応えようと必死に打ち返すような仕事をしてきたのは年代でいうと40代以上です(脚本家や制作陣が若くないのが透けてみえる)。
(すべてとはいいませんが)30代以下はそんなふうに扱われてこなかっただろうし、もしそんな扱いをうけたなら「倍返し」とばかりにやり返してきたはず。
だからこのドラマが響かないはずです。
若くても必死に我慢して仕事にくらいつくような働き方をしてきた人は泣けたかもしれません。
なんというか、「必死さ」みたいなものの響き方が年齢によってものすごく違ってきてるし、世代の隔たりみたいなものが年々強くなってる気がする。
若い世代に浸透しているライトな物語とか、全然ピンとこないしね。
昔は、年がうんぬんかんぬんより、結婚してるしてないとか、子供がいるいないで隔たりを感じることが強かったのですが、最近は年代の壁がものすごく高くなったのを感じます。
それも上の世代に対してではなくて、下の世代に対して。
ゆとり教育って、やっぱり全然違うようです。
受けてないからよくわからないけど。
40代以上より上はだいたいまんべんなくスパルタ教育でやってきた世代なので、ひとまわりうえでも、どこか同じ生き物です。
好きになれなくても理解はできた。
個人的な壁はできるけど(合う人合わない人はいるので)、年代の壁はそれほど感じなかった。
違うシステムになっていたとしても、根っこのOSは同じだったんでしょね。
でも、下は全然違う。
理解できないし、下の世代からみたら、上の世代はまんべんなく要領&効率が悪い馬鹿なのでしょう。
ドラマのガッキーは若い設定ですが、アラフォーのパワハラ社長のいいなりになっている=アラフォーと同じような苦労を背負いこむような思考・行動をする女子として描かれていました。
これは同年代の支持は得られないでしょう。
スパルタ教育を受けた年寄りたちは応援すると思うけど。
このドラマのターゲット層の設定がいまいちよくわからん。
そんな問題はありますが、内容としては重さあり、軽さありで非常に良かったです。
会話の軽快さもあり、ガッキーの働く環境の悪さもいい具合に中和されてた。
今後はガッキーの仕事から、松田龍平との恋愛にシフトしていくようですが、内容に十分期待がもてると思いました。
ドラマって結局脚本家次第なのね。
そう思わされる出来栄えの獣になれない私たちでした。