いい年なのにテレビっ子!

テレビの感想や芸能ネタなどのつぶやきリポート

おでんとおはぎ 第08話

 屋台は昔と同じ場所に、昔と同じたたずまいで出ていた。
 屋台の立つ広めの歩道の前、車線数が多い国道をスピードを出した車が行き交っている。
 耳が慣れるのか、大声でしゃべるせいか、屋台で車の出す音が気になったことはなかった。
 惣介が紺ののれんをめくり、屋台をのぞいた。
「おじさん、こんばんわ」
「おっ、惣介。久しぶり」
 佐々木がすばやく反応する。
「こんばんわ」洋子が顔を出し、佐々木を凝視した。
「こんばんわ。何だ、惣介、新しい彼女か」
「新しいって、おじさん」惣介が苦笑する。
「そうです、若くないけど、新しい女です」
 佐々木は笑って、洋子を見た。
「おもしろい人だな。良かったな、惣介」
 無責任に佐々木が言う。
「はあ」
 惣介は否定する気さえ失う。
「嘘です。おじさん、私のこと覚えてない?」
「え?」
「ほら、良く見て、私の顔」
「良く見てっつっても・・・んーっ?」
 佐々木は洋子を凝視した。
「ああっ、あんた、昔、惣介たちと良く来てた」
「そうっ!」
「敏子ちゃん」
「え?」
「おじさん、洋子のほう。洋子」惣介が助け船を出す。
「えっ」
 驚いた佐々木が再び洋子を凝視する。
 そんなときの佐々木の顔はいつもの笑っている顔からは想像できないほど厳しい。
「ほら、大喰らいの敏子の友達の、洋子」
「ああっ、あんたっ、洋子ちゃん。予備校生だったのに大酒飲みだった洋子ちゃん」
 佐々木が興奮して洋子の顔を指差す。
「ちょっと、おじさん、止めて、声がでかいわよ」
「すまん、すまん」
 佐々木が破顔する。
 昔と変わらぬ佐々木の大きな笑顔だった。
「お久しぶりです」
「久しぶりだねー。最後に会ったのは洋子ちゃんがまだ大学生だったら、十年ぶりぐらいじゃないかね」
「たぶん。すみません、ご無沙汰してます」
「いやー、すっかり垢抜けて綺麗になって。元気だったかね」
「ええ、まあ」
「確か、名古屋でお医者になるって」
 佐々木が目を細めて洋子を見る。
「ええ、一応、医者になれました」
「へえ、そりゃあ、たいしたもんだ」
「いえ、全然」
「ただの酔っ払いですから」
 惣介が横槍を入れる。
「お二人さん、何食べる?」
「俺、大根としらたきとスジ」
「洋子ちゃんは?」
「私は、えっと、サトイモときんちゃくとこんにゃくと卵と、大根を」
「おまえ、そんなに」
 惣介が絶句する。
「相変わらず食べるなあ、洋子ちゃんも。でも、おはぎの分も空けといてよ」
 佐々木が言い、また笑う。
「大丈夫ですよ。甘い物は別口だから。おじさん、おばさん、元気?」
「元気、元気。元気におはぎ作ってるよ」
「そんなに食べて。太っても知らないからな」
 惣介が洋子を睨む。
「何? おじさん、惣介、男のくせに細かいことすぐグチグチ言うのー」
「そりゃ、良くないな。モテないぞ、惣介」
「モテないぞ」洋子が重ねる。
「結構です、これ以上モテなくて。生徒さんに結構モテてますから」
「聞き捨てならないわね」
「そうだぞ、惣介。公私混同はいかんぞ」
「そうよ。陶芸以外のこと、教えてんじゃないでしょうね」
「何だよ、陶芸以外のことって」
「ここじゃ言えないようなことよ」
「手ぇ添えて一緒にロクロとか回しちゃったりしてな」
 佐々木が続け、豪快に笑う。
「ちょっと、おじさんまで、やめてくれよ」
「そうよねー、やりそうよねー。おじさんからももっと言ってやってよ」
 佐々木の豪快な笑い声と、国道を走る車の音が重なりながら、夜闇に響いていく。
 洋子はこんなに笑うのは久しぶりだと思いながら、惣介の肩を二度ほど叩いた。

「ちっ、おじさん、とられちゃった」
 佐々木は会社帰りだろうか、屋台側に出したテーブルに座る若い三人の女の前に立ち、楽しそうに会話していた。
「ああ、おじさん、人気だからな」
 何が楽しいのか、きゃあきゃあと若い女達が笑い、それに佐々木の豪快な笑い声が続いた。
 洋子が顔をしかめる。
「何よ、あの若い子たち」
「そりゃあ若いほうがいいだろ」
「ちっ、おじさんも普通の男だったか」
「ひがまない、ひがまない」
「若いだけで、ぜんぜんかわいくないし」
「ばかっ、おまえ、聞こえるぞ」
「聞こえないわよ、あんな超音波みたいな声だして騒いでんだから。仲間かと思って、そのうちこうもり寄ってくるわよ」
 惣介が顔をしかめる。
「完全に酔っ払ってんな」
「あー、つまんない」
 洋子はおでんの具を口に運び、その熱さに顔をしかめる。
 湯気がたつ大根を咀嚼しながら、その表情に笑顔が戻る。
「やっぱおいしいね、ここのおでん」
「ああ」
「ねえ」
「ん?」
「どうして敏子と井筒、別れたか知ってる?」
 洋子が惣介の顔を覗きこんだ。
「二人とも忙しくて自然消滅だろ? 遠距離だったし」
「まあ、それもそうだけど・・・」
 洋子がひとくちビールを口にして、ふんぞりかえった。
「もう時効だし、しゃべっちゃおうかな。お酒も入ってるし」
「しゃべっちゃえ、しゃべっちゃえ」
 惣介がけしかける。
「井筒には内緒ね」
「おう」
「敏子、卒業して、東京で就職したじゃない。そして、井筒はそのまま九州に残って、激しく勉強の日々」
「そうだったな」
「敏子、今じゃ会社に命ささげますとか言ってるけど、就職したばっかりのときは会社が合わなくてね」
「ふーん」
「関東の人ってはっきり物を言わないんだって。でも敏子はあれじゃない。あけすけってゆーか、ストレートっていうか。それで最初はいろいろ悩んだみたい」
「そうなんだ」
 この土地を離れたことのない惣介にはわからない感覚かもしれない。
 思いながら洋子は続けた。
「私も名古屋に行ったからわかるんだけど、その土地土地の人の性格って、なんかあるのよ」
「まあ、ありそうだな」
「それで仕事なんか辞めて帰りたい、なんなら井筒と結婚したいって、思ってたみたい」
 惣介が小さく頷く。
 女は勝手だと思っているのかもしれない。
「でも、井筒は忙しくて敏子の話を聞く余裕がなかったみたい。私もそうだったけどね」
「そっか」
「それで思ったんだって。こんな情けない自分は井筒にふさわしくないって。井筒は医者になるために頑張って、どんどんえらくなっていく。でも、自分はこのままじゃどんどんダメになっていく。そんな二人が、釣り合うわけはないって・・・堅苦しい女でしょ?」
「かもな。でも日向らしいな。井筒に甘えようとして、頑張れない自分に嫌気がさしたって」
「それで敏子のほうから井筒に距離を置き始めて・・・可愛くない女だよね」
「それで、そのまま別れたのか?」
「そういうこと。バカだよね、敏子」
 バカだとは思う。でもまっすぐだとも思う。尊いとも。
 若い女だけが持つ、相手を思いやるまっすぐな心。自分を恥じ、相手とのバランスを律儀に考える真っ当さ。 
 この年になるとわかるが、そんな真摯な遠慮を持ちあわせているのは若いときだけだ。
 年をとれば、自分のそばに居てくれれば、立派でも一生懸命でなくても、何でもいいと思ってしまう。
 自分のダメさが浮き彫りになるような相手には、そもそも近寄らない。
 相手が近寄ってくれば、今度は相手をダメにしてでも、自分の側にいてほしいと、それだけを願い始める。
 惣介が神妙な顔になり、コップのビールを煽った。
 洋子も少しだけビールを口に含む。
 少しぬるくなったコップの中のビールの臭いが鼻腔に広がった。
「なんかわかるな。好きになった相手が自分より立派に感じて、距離をとってしまうって」
「何か実感こもってるわね」
「いやっ、そんなことないけど」
 惣介の表情が変わる。
「何うろたえてんの? 怪しいわね。ま、いいけど。でも、やっぱりバカだよ、敏子。男と女って、ふさわしいとか、釣り合いとか、どっちががんばってるとか・・・そーゆー問題じゃないじゃない?」
 惣介は何も言わない。
「違う?」
「そうだけど・・・あの頃、そう思えたかな」
 今度は洋子が黙る番だった。
「そんなふうに思えるようになるには、もっと時間が必要だったんじゃないか。いろんな人が居て、いろんな価値観があって、でも、誰が劣ってるってわけでもない。社会的な地位や収入だけがものさしってわけでもない」
 洋子は惣介の顔をじっと見た。
 惣介は前を向いたまま続けた。
「自分がどーゆー人間かわかってて、何がしたいかを見つけた人間が、一番幸せだって・・・あのときは、思えたかな?」
「そうだね・・・難しいね」
 コップに口をつける。しかしアルコールは喉には入っていかなかった。
「俺、やっぱり、日向の気持ち、わかるよ」
「・・・」
「俺も同じ気持ち味わったこと、ある」
「うそ。なに、誰に?」
 洋子が思わず惣介を凝視する。
 惣介が苦笑した。
「くいつくなー。もうずっと昔の話だよ」
「じゃ、いいじゃん、昔のことなら尚更言っちゃえ」
 洋子に小突かれた惣介が口を開いた。
「じゃあ、言っちまうおうかな」
「おう、言え、言え」
「俺、明に言われたことあるんだ」
「何て?」
 惣介はコップに残ったビールを煽った。
 少し落ち着きを欠いたように見えた。
「おまえと樋口も俺達みたいに付き合っちゃえって」
 洋子は驚いて惣介を見た。
 惣介は今度は洋子の目をしっかりと見返した。
「そしたら四人でずっと一緒に遊べるだろって」
 洋子が苦笑する。
「バカなことを」
「だろ。でも、俺、楽しそうだなって、少し考えたんだ」
「・・・」
「でも、言えなかった。なんか、おまえが立派すぎて」
「え?」
「目の前のこれと一緒だよ。なんか、おでんとおはぎっていうか」
「どういうこと?」
 洋子が促す。
「おまえもそうだけど、明も日向もデキが良かったじゃん」
「まあ、勉強は、そこそこね。でも、みんなバカだったじゃん」ほんとにそう思う。
「でも俺はひけめを感じてた。今は一緒でも、みんな偉くなって、俺はどんどん置いていかれるって」
「あのときの、敏子も、そんなこと言ってたな」
 井筒と別れて、自分の前で泣いた敏子の姿が浮かぶ。
 新幹線に乗って、名古屋まで泣きに来た敏子。
 いつもすっと伸ばした背中を丸めて泣く姿が悲しくて、洋子も一緒に泣いた。
「だから、わかるんだよ。人からみたら、たいしたことじゃなくても、本人は大真面目なんだ」
「でも、惣介は目標がはっきりしてたじゃん。彫刻とか陶芸がやりたいって。私の場合、医者を選んだのは理系の勉強ができたのと、男に負けたくないのと、あと、正直言えば、やっぱ社会的な地位の高さとか収入にひかれたとこがあるわ。人を助けたいとか言ってたけど、それも嘘じゃなかったけど、でもそんなの子供のたわごとっていうか・・・仕事してみて思い知らされた」
 惣介が小さく何度か頷いた。
 その様子を横目で見て、洋子が続けた。
「だから、ほんとに自分のやりたいことを見つけてた惣介を、尊敬してた」
「そんな立派なもんじゃなかったんだな」
「え?」
「やりたいことがあったのは嘘じゃない。でも、それはムリしなくても届きそうな目標だったんだ。それほど勉強しなくても入れる大学を選んで、やりたいこともやれて。ずるいんだよ」
「そんな」
「いいや、そんなとこがあったから、みんなに引け目を感じてた」
「惣介」
「もっともっと上にって、貪欲なおまえたちが、なんかすごいなって」
「単に偏差値にしばられすぎてただけ、あの頃は」
「そうかもな。でも、俺もそれを努力のバロメーターだと思ってた」
「でも、結果的に一番リスクの高い道を選んだのは惣介だったんじゃない? 食べていけるかどうか、わからない道を選んで。私はそれを夢だと思ってた」
 惣介が小さく笑った。
「ほんとだな。そんな思考はさっぱり抜けてた。子供だったんだな。でも、やっぱり、夢だったのかもしれないな、結局」
「うん」
「だから、今は楽しいよ」
「そう」
 二人が黙ると、一台の改造車がけたたましい音をたてて国道を走っていった。
 交通量が少なくなったほうが一台一台の出す音が明瞭になる。
 いつも四人で会っていたから、二人になると、一人ひとりの気持ちが浮き彫りになりすぎる。
 久しぶりの再会でのぼせているだけなのだろうか。
 洋子は自分を抑えるようにひとつ息を吐いてから、口を開いた。
「いろいろあって真っ白じゃないのは当たり前、じゃなかったっけ?」
「だな」
「みんな、ただ白いだけじゃない気持ちを抱えながら、年をとって、歩いていく。そんなもんでしょ」
「ああ」
 惣介が小さくうなずく。
 その少し疲れた様子がなんとも男っぽく、色っぽく感じた。
 のぼせているだけなのだろうか。洋子は口元を引き締めて、言葉を続けた。
「実は、私も言われたことある。敏子に、惣介と付き合っちゃえって」
「嘘」
「ほんと」
「その気にならなかった?」
 惣介が前を向いたまま言った。
 表情が薄く、何を考えているのか読み取れなかった。
 その様子を確認して、洋子も前を向いたまま続けた。
「ううん。そうじゃない。言われてたら、きっと付き合ってた」
「受け身な」
「自分だって」
「まあ、そうだな」
「子供だったのよ。怖かったの、恥かくのも、本音さらすのも・・・それに、あのときはそのままでも楽しかったしね」
「そうだな」
 惣介が空になったコップを弄ぶ。
「でも、後で、ちょっと後悔した。『あのとき』がそのまま続くもんじゃないって気づいたから。でも、その頃、私はもう名古屋にいた」
 惣介は何も言わない。
「ねえ」
「ん?」
「あのときできなかった告白、今してよ」
「イヤだよ」
「だよね。もう、私のことなんて、だよね」
「そうじゃないけど」
 惣介を見る。惣介は洋子を見ようとしない。
 もうこんな会話しないほうがいいかもしれない。 
 思いながらも、洋子は口を開いた。酔いのせいか、黙っていられなかった。 
「こんなにインターバルがあって、二人ともどんな人間に変わってるかも、わからないしね。もう、合わなくなってるかもしれない」
 何を期待しているのだろう。
 しつこくこんな会話を続ける自分が洋子は嫌になる。
「だな」
 惣介の相槌に、洋子は黙り込んだ。
「でも、だから、もう一回友達からっていうのは、どう?」
「え?」
 驚いて惣介を見る。惣介が洋子を見返していた。
「お互い急ぐ理由はないだろ」
「そうだけど・・・」
「今からも楽しそうじゃない? 俺達」
 惣介が笑っていた。
 洋子も表情を緩める。
「うん」
「今日、楽しかったな」
「うん、楽しかった」
「これが続かない気がするか?」
「わかんないけど、続けたい気がする」
 洋子が笑う。
 惣介はずっと笑顔だ。
 ああ、今、この人は私の手をひいてくれている。
 洋子は子供の頃のように心が満たされた。
「じゃあ、いいんじゃない?」
「うん、いい・・・とっても、いい」
「じゃあ、決まり」
「うん、決まり」
「おじさーん、おはぎ二つ頂戴」
 照れかくしか、惣介が少し離れた場所に立っている佐々木に声をかけた。
「はいよ。ちょっと待ってね」
 佐々木がにこやかに応える。
 国道からクラクションの音が響き、うなるようにエンジンをふかす音が続いた。

 目の前の大きめのおはぎを洋子はゆっくりと口に運んだ。
「おいしいよね。おばさんのおはぎ」
「うん、絶品」
「昔っから、おでんとおはぎは、ほんとはすごく合ってたのにね」
 おじさんの作るおでんと、おばさんの作るおはぎ。そのどちらかが欠けても成り立たないのだった。
「だな」
 二人が黙りこむ。
 ふっと惣介が笑う。
「何よ」
「別に、何も」
「気持ち悪いわね」
 洋子も笑い出す。
 お互い、照れたように笑い合う。
 あの頃だったらできない表情を惣介がしていた。
 自分もそうだろうか。
 これから、また作っていく。拾うだけじゃない。今度は一人じゃない。
 洋子の胸に久々に温かいものがひろがっていく。
「おでんとおはぎだけじゃなくて、日本酒も合うけどね。おじさん、日本酒も追加」
「何、おまえ、まだ飲むの?」
「いいじゃん。惣介、ウチの場所知ってるし。帰りの心配がないと、安心して飲めるわー」
「おまえねー」
「何よ、もう、細かいことを、男のくせに」
「男とか女とか関係ないだろ」
「あるわ。あるに決まってんだろ」
「おまえ、その減らず口直さないと」
「治さないと何よ」
「まあ、まあ、二人とも喧嘩しないの」
 いつのまにか二人の前に立っていた佐々木が諭す。
「あ、おじさん、浮気は終了?」
「浮気? なんだい、そりゃ?」
 佐々木がとぼけた顔で応え、洋子と惣介が笑う。
 何がおかしいのか、隣の女性客のグループがはじけたように笑った。
 長い信号が変わり、止まっていた車の列が流れはじめる。
 どこからか、かすかにクラクションの音がひとつ響いた。<終>


おでんとおはぎ