いい年なのにテレビっ子!

テレビの感想や芸能ネタなどのつぶやきリポート

おでんとおはぎ 第05話

 テーブルには八宝菜、鶏のから揚げ、ポテトサラダの大皿が並んだ。
 口ではぶつぶつと言いながらも、久子は洋子の好物をいくつも作ってくれた。
 洋子はそんな久子の気持ちに応えるように、自分の碗に白米をたんと盛った。
「もう、ごはんそんなに山盛りに盛って。誰が食べるの?」
「わたしー」
 二人にはやや油の重いメニューかもしれない。義務感も後押しし、洋子は食べる気まんまんだ。
「太るわよ。もう若くないんだから」
「ちょっとやめてよ。最近ほんとにやばいんだから」
「だったら尚更やめなさいよ」
 久子の声がとがる。
 母はこんなに短気だったろうかと洋子はいぶかった。
「まあ、まあ、久しぶりの母さんの手料理だし、いいじゃないか」
 反面父の物言いはずっと柔らかくなったようだ。
 病は人を丸くする。そんな患者を何人も見てきた。それは悪いことではない。
 しかし父が弱気になったようにも見え、洋子は少し寂しくも思う。
「明日からダイエットするもん」
「また、そんなこと言って。ま、いっぱい食べるといいわ。どうせ今までロクなモノ食べてないんだろうし」
 非難めいたことを言いながらも、久子の声はどこか浮かれていた。
 洋子は母の思いをありがたく感じた。
 実家に戻るかどうかはずいぶん迷ったが、戻ってしまうと、やっぱりこれで良かったのだと思えた。
 新しい病院は大学で世話になった教授に世話したもらった。
 父もかかっている病院だと言うと、母はほっとしたように「良かった」と言った。
 息を吐くような細い声で。
 洋子は母の本当の不安をそのとき知った。
 母と電話のやりとりをしたその後、洋子は一人で少しの間泣いた。 

「母さん、どこお?」
 家の中から洋子の声がする。
 庭に出て洗濯物を干していた久子は、手を止め、中をうかがった。
「母さーん」
 久子は洋子の子供の頃を思い出して苦笑した。
 いつもこんなふうに自分を追いかけていた洋子が、家に戻ってきた。
 久子はバスタオルと勢い良く広げてから、先ほど磨き上げたステンレスの物干し竿にかけた。
「庭ですよー」
 洋子が廊下を駆ける音がした。
 落ち着きのないのは夫の周造に似たのだと思う。
「あ、いた、いた。ちょっと駅前のほうぶらついて来るけど、何か買ってくるものある?」
「何も」
「父さんは?」
「散歩」
 久子は手を動かし続けた。
 洋子の洗濯物が増えるから、物干し用の金物を買い足そうか。
「ふーん」
「じっとしてない人だからね」
「大丈夫なの?」
 振向くと洋子が眉間を寄せてこっちを見ていた。
 周造のことが心底心配らしい。久子は笑って見せた。
「のんびりそのへん歩いてるだけだから大丈夫じゃない? 歩かないとますます弱っちゃうしね」
「そうだね」
 洋子は納得したように数度小さくうなずいた。
「じゃ、ちょっと行ってきます」
「はい、気をつけて」
 洋子が玄関へと歩いていく音を聞きながら、久子は周造の靴下をピンチハンガーのピンチにはさみ、ぶら下げていく。
 洋子が玄関を閉める音が響く。
 残念ながら、所作が荒いのは自分に似たらしい。
 久子はため息をつき、再度苦笑した。
 その笑いは微笑になり、久子の顔に残り続けた。

 小倉駅の周りは多くの車や人が行き交っていた。
 それでも知っていた名古屋の喧騒とはどこか違う。音だろうか。
 ときどきクラクションやエンジン音が指すように立ち上がるのに、どこかのんびりとした雰囲気が漂っているように感じるのはなぜだろう。
 幼い頃に長く身を置いていた土地だからだろうか。
 離れていても忘れることのない土地の記憶の強さを、体の染み付いたそのしつこさのようなものを洋子は不思議に思った。
 そんなものをきれいな言葉に置き換えると、郷愁とか故郷とかいうものになるのだろう。
 洋子は目の前の白い商業施設を見上げた。
「コレット、ねえ」
 洋子が中学生の頃、そごうという名前でオープンしたデパートは何度かその名前を変えたらしい。
 新しくついた洋風な名前をつぶやくが、どうしようもない違和感を感じた。
 洋子は再度、その白く大きな建物を見上げた。
 そして中へと入っていく。心地良い空調が洋子を包んだ。
 コレットの中は、平日とはいえ閑散としていた。
 地方の錆びれっぷりは都市に住む人の想像を超えている。
 駅前にこのデパートがそごうという名でオープンしたときは、かなりの話題になった。
 何度名前を変えたかは知らないが、その度に客足は鈍っているのではないか。
 洋子はそんなことを思いながら、コレットの中をうろついた。
 ときどき背中に「いらっしゃいませ」という女性店員たちの声が放られる。
 これだけ閑散していると、そういった言葉がプレッシャーになる。
 しかし、頭をめぐらせても服も化粧品も、特に欲しいもの、必要なものはないのだった。
 そんなふうに見るとはなしに店内を見ていると、エレベーターの踊り場に張ってある一枚のポスターが目に飛び込んできた。
「ん? なに?」
 洋子は引き寄せられるようにポスターへと寄っていく。
「陶芸家、井上惣介、個展・・・井上、惣介? 惣介? 井上?」
 洋子はその名を頭の中でも繰り返す。
 繰り返しながら、足は徐々に早くなっていく。洋子は会場のある最上階へと急いだ。

 会場の入口に設けられた受付には男が立っていた。
 相変わらず背の高い男だと思いながら、下を向いて何か書き物をしている男に洋子は声をかけた。
「あのお、すみません。個展の受付はこちらですか?」
「はい」
 男が顔をあげる。予想していたとはいえ、洋子は言葉を失った。男も同様のようだ。
 井上惣介。
 洋子は一緒の予備校に通った友人の年を経た顔をまじまじと見た。
 先に口を開いたのは惣介だった。
「ひ、ぐち?」
「惣介?」
 惣介の表情が柔らかくなる。
 それを確認して、洋子は結んだ口を横に広げ、にやりと笑った。
 若いときから変わらない、洋子の嘘のない笑顔だった。
「びっくりしたな・・・ひさしぶり」
 惣介は驚きを隠せない声で言った。
「久しぶり・・・元気?」洋子はそんな惣介を茶化すように言った。照れ隠しだった。
「あ、うん。どうしたんだよ、いったい」
「いや、どうしたって。デパートの中ぶらついてたら、個展のポスターが貼ってあって、それに井上惣介ってあったから、まさかと思って・・・すごい。陶芸家になったんだね」
 惣介はばつが悪そうに頭をかいて、口を開いた。
「そんなんじゃないよ。普段は陶芸と彫金の教室をやってるんだ。作品だけじゃ、まだ食っていけなくてさ」
 陶芸と彫金。
 どちらもやったことのない洋子には二つの接点がわからない。
「そう・・・でも、すごい、こんな個展開いて」
「いやあ、教室の生徒さんでコレットに顔のきく人いてさ、好意でやらしてもらってんの・・・でも、ま、見てってよ。時間あるなら」
「見る、見る。暇だからじっくり見ていく」
「いや、じっくりはいいからさ」
「何でよ」
「なんか照れるな」
 何度もまばたきをしながら惣介が言う。まばたきの回数が増えるのは、惣介が照れている証拠だった。
 ああ、確かにそういう癖があったな。
 洋子は懐かしい気持ちで、惣介のそんな様子を凝視した。
「照れんなよ」
「すみません。個展の受付は?」
 いつのまにか二人のそばに若い女が立っていた。
「はい、ここで受け付けます」
 洋子は惣介の前からずれ、女を迎え入れた。
 女が会釈して、惣介の前に立つ。
「じゃあ、後でね」
「あ、うん」
 惣介が女と洋子の顔を交互に見ながら言った。
 あいかわらず律儀で不器用な男だと思った。
 洋子は受付から離れ、会場へと入っていった。
 高校を卒業し、洋子は一年間浪人生活を送った。通った予備校に惣介もいた。
 そして、惣介は地元の芸術工科大学に進み、洋子は地元を離れた。
 会ったのは、久しぶりだった。
 それなのに、急激にあの頃に心が引き戻されたのはなぜだろう。
 洋子は足を止め、ある陶器の前で膝を折った。
 陶器をおいてあるテーブルと同じ高さに目線を据え、深い小豆色に輝く丸い壷のようなものを見つめる。
「きれいな色」
 私が何人もの患者の体にメスを入れている間、惣介はこんな綺麗なものを作りだしていたのだ。
 洋子はこれまでの生活を振り返る。
 達成感のある日々だったかもしれない。
 人に感謝されることも多かった。それなりに立派な仕事だと、胸を張れる部分もあると思う。
 しかし、美しいものや心安らぐものとは無縁の日々だった。
 救う作業ばかりをしてきた。それはどことなく拾う作業と似ていた。間違っているのかもしれないが、洋子はそう感じていた。
 そんな自分が、何かを作り出す作業と無関係だったのは当たり前といえば当たり前か。
「いろんな仕事が、あるんだな」
 洋子はゆっくりと会場を歩きながら、陳列されている作品を眺めていった。
 会場を二周し終えるころ、いつの間にか会場に入ってきていた惣介に後ろから声をかけられた。
「樋口」
「わっ、びっくりした」
 惣介の作品に見入っていた洋子は短く、高い声をあげた。
「ごめん」
「ううん。見入っちゃってたから。きれいな色ね」洋子は目の前の大きな皿を指差し言った。
「今回は比較的淡い色のものばかり集めたんだ」
「へえ」
 言われてみればそうかもしれないが、濃い色の陶器を知らない洋子には、何ともわからない。
「どうして?」
「ん?」
「どうして、こんな時期に。帰省か?」
「ううん。帰ってきたの。こっちの病院に勤めることになって」
 さらりと言えた。
 それを決めるまでずいぶんと悩んだのに。
「そう、だったんだ」
「うん。なんか・・・いろいろあってね」
 それは惣介も同じだろう。この年で『いろいろ』がない人間などいない。
 洋子は自分が不適切な言葉を口にしたような、不正解を口にしたような気持ちになる。
「そっか・・・病院、いつから? もう働きだしてるのか?」
「ううん、来週から」
 来週からまた新しい生活がはじまる。それがうれしいようなプレッシャーなような、不思議な気持ちになる。
 新学期を迎える子供のような気分だ。
「じゃあ、今週は暇なんだ」
「うん、まあ」
「じゃあ、明後日、ごはんいかないか? 個展が今日までだから、片付けとかで、明日いっぱいまで手が空かないんだ」
「うん、いいよ。じゃあ、昼間っからこのへんぷらぷらしたいな。久しぶりだから。付き合ってよ」
「うん」
「個展、今日までだったんだ」
「うん」
「そっか・・・」
 洋子は言葉を切った。
「何?」
「なんか、縁があるなって」
「何言ってんだよー。もともと知り合いだろ」
 惣介が笑う。
 そうじゃないだろう。洋子は苦笑する。
 そんな洋子の前で惣介はズボンのポケットをまさぐり、シンプルなシルバーの名刺ケースを取り出した。
 そして、その中の一枚を洋子の前に差し出した。
「これ、俺の名刺。携帯のアドレスもここにあるから、後でメールちょうだい」
「うん、わかった」
「せんせーい、すみませーん。ちょっといいですかー」
 受付から惣介を呼ぶ声がそう広くはない会場に響いた。
「今行くー」惣介が首をひねって応える。
「先生だって」
「先生だもん」
「変なの」
 洋子は小さく笑った。照れくさそうに惣介が笑って続けた。
「そっちだって先生じゃん」
「そうだけど」
「じゃ、あとで。メールくれよ」
「うん。じゃ、明後日ね」
「うん、明後日、ゆっくりと」
 惣介が小走りに受付のほうへ駆けていく。
「どっかピントがずれてんだよね。せん、せい」
 洋子は苦笑して、惣介の背を見送った。
 洋子はもう一度会場を見て回ろうと、ゆっくりと踵を返した。


おでんとおはぎ